第11回
ライブの醍醐味は、「わざわざ見に行って良かった」と思わせるか否か?
2015/09/10
ライブの良さは、いい意味で、予想を裏切られる、ということだ。ということは、予想していた以上に、はるかに良かった、ということになるが、正直言って、だからライブはやめられないのだ。今回はそんなライブの醍醐味について語ってみたい。
8月28日(金)、東京文化会館小ホールで〈ブレッド&バター・日野美歌コンサート 湘南ラブソングス~男と女 あの頃のまま~〉なるジョイント・コンサートが行なわれた。
はじめ、ブレッド&バターと日野美歌がジョイント・コンサートをやると聞いたとき、イメージが湧かなかった。ポップスの王道を行くブレッド&バターと「氷雨」「男と女のラブゲーム」などのヒット曲で知られる“演歌・歌謡曲の歌姫”のジョイントは、水と油でまさしくミスマッチだ、と思ったからだ。
たぶんこんな内容になるだろう、と私は予想した。内容は前半が〈日野美歌オンステージ〉でヒット曲を駆使しての歌謡ショー。それが終わると、今度はブレッド&バターの〈ポップスの世界〉。そして、それが終わると両者が登場してのジョイント・コンサート。たぶんここでは「男と女のラブゲーム」で日野美歌と岩沢幸矢がデュエットをするだろうことは目に見えている。要は、〈演歌・歌謡曲の世界〉と〈ポップスの世界〉があって、最後にとってつけたようなジョイント・コンサートがあるということ。それが私が予想したことだ。
しかしながら、現実はそんなに甘いものではなかった。とってつけたようなジョイント・コンサートどころか、よくここまでできたものだなと感心してしまうほどのコラボレーションの世界が確立されていたのだ。つまり、単純なジョイントではなく、コラボするところはきっちりとコラボして、個別に聴かせるところはしっかりと自分たちの世界を打ち出していた。その意味では、日野美歌、ブレッド&バター、それぞれの世界を堪能できたし、それとは別に“日野美歌とブレッド&バター”というコラボレーションの世界も十分に楽しむことができたのだ。
はっきり言って、私が想像していた以上にはるかに良かった。その意味では、わざわざ見に行って良かった、と思わせた素晴らしいライブだった。これぞライブの醍醐味と言っていいだろう。
それにしても、日野美歌の実力に裏打ちされた個性あふれるボーカル、自由気ままなミュージック・スタイルを貫いて彼らならではのポップ・フィーリングとポップ・センスで音を楽しんでいるブレッド&バターのライフ・スタイルは他の追随を許さない、まさにオリジナリティーあふれる独自の世界である。「また見たい」と思わせる素敵なライブだった。
8月29日(土)、浅草・木馬亭で永井龍雲の〈歌花火2015〉を見た。
これはこの時期に恒例となっているライブだが、浅草という日本の伝統文化のホームグラウンド、しかも、木馬亭という演芸館で行なうコンサートだけに龍雲の“歌の原点”が凝縮された見事なライブと言っていい。
シンガー・ソングライターは数多いが、そんな中にあって、龍雲は美しい日本語の歌を歌うアーティストだ。いうならば、龍雲は“楷書”の似合うアーティストである。
楷書とは漢字の書体のひとつで、崩さない書き方で標準的なものとされている。それに対して“草書”は書体を崩し、最も簡単で早く書けるようにしたもので、通称“くずし字”と言われている。
ふだん私たちが使っているのは草書の方で、どんどん“くずし字”化され、いや、書体ばかりか、私たちが日常使っている言葉が草書化され、言葉が乱れてきている。
言葉の乱れといえば、Jポップにも言える。最近の歌たちは、若者たちの使う言葉の乱れを反映してか、意味不明なものが多い。もともと言葉には、意味と読み方の“音”がある。音にはリズムがあるので、アーティストが歌詞を書く場合、言葉が本来持っている意味よりも、リズムに乗りやすい“音”を重視しがちだ。その結果、リズム乗り先行の意味不明の歌詞が多くなるというわけだ。はたして、これでいいのか?
新曲を聴くとき、人はまずその声質に反応し、次にメロディーやリズムのインパクトに反応する。そして、最後に歌詞の内容に共感を覚える。つまり、はじめのインパクトはボーカル、メロディー、リズムだが、繰り返し聴かせたいと思わせるのは、詞のリアリティーだ。言葉の持つ“意味”と“音”を大切にするということは、正しく美しい日本語を使うということ。龍雲の書く詞はそんな美しい日本語だ。
龍雲のライブに行くと、なぜか郷愁を感じ、日本人であることを改めて認識させられる。歌の中に散りばめられた言葉に刺激されて、私たちの心の奥に眠っていた“和の心”が目覚める。つまり、私たちが忘れていた楷書とは“和の心”なのだ。その“和の心”が龍雲の歌に息づいているからこそ、私たちは日本人としての“良心”を刺激されるのだ。
龍雲の歌のベースに流れている郷愁を誘う独特な叙情性と哀愁こそ、まさに日本の〈伝統文化〉そのものであり、〈日本の歌〉そのものだ。その意味では、浅草という〈伝統文化〉のホームグラウンドだからこそ、龍雲をして〈日本の歌〉に目覚めさせたのだ、と言っていい。
龍雲は全国各地でたくさんのライブを行なっているが、龍雲の原点〈和の心〉から生まれてくる美しい〈日本の歌〉を聴くには、毎年恒例の浅草〈歌花火〉がいい、と私は確信している。ちなみに、楷書の似合うアーティスト、他には井上陽水、森山直太朗が素晴らしいと思う。
(文/富澤一誠)
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