第68回
ふと自分の人生とは? と考えさせられる〈永井龍雲40周年記念LIVE〉はベスト・ライブ!
2018/01/25
そんな観点からすると、去年の12月16日(土)、東京渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで行なわれた〈永井龍雲40周年記念LIVE「道なき道」〉が私にとっての〈ベスト・ライブ〉だったと言っていい。
「永井龍雲は私にとって特別な存在のアーティスト!」
私にとって永井龍雲は、岡林信康、吉田拓郎とはまた違った意味で特別な存在のアーティストである。
話は38年ほど前の1980年にさかのぼる。この年に私は1冊の単行本『永井龍雲・負け犬が勝つとき』(サンケイ出版)を出版。龍雲は78年3月にシングル「想い」、5月にアルバム『龍雲ファースト』でデビュー以来、その時までにシングル6 枚、アルバム3枚を出しており、フォーク界においては松山千春に続くホープと早くから注目されていた。
そんな龍雲に私は評論家として「時代を担うスーパースターになる」と宣言したのだ。これは大きな賭けだった。もしも龍雲が売れなかったら、私は評論家としての信頼を失うことになるからだ。
当時、龍雲に対する周囲の期待感は日増しに高まっていた。ちょうどそんなタイミングをとらえたかのようにグリコCMソングの話が舞い込んできて、龍雲が「自分の人生をかけて作った」のが「道標ない旅」だった。この曲は79年8月21日にシングルとして発売された。龍雲に向かって“時代の風”が吹き始めた。
「道標ない旅」は順調にヒットチャートを駆け上がって、11月中旬には20位に“赤丸急上昇”でランクされ、ベストテン突入はその勢いから時間の問題かと思われた。
ところが、思わぬアクシデントが勃発。直前までグリコのCFに出演していた山口百恵が、三浦友和と“恋人宣言”をしたのだ。百恵、友和という当時随一の人気カップルによる突然の恋人宣言だけに、大衆の関心もいっせいに2人に集まり、CFも突然、百恵、友和が2人で出演している古いフィルムに差し替えられてしまった。
当然のこととして、「道標ない旅」はオンエアされなくなった。「これから…」というときだったので、結局「道標ない旅」はスマッシュヒットで終わってしまったのだ。と同時に、私の賭けも失敗したのである。
早いものであれから38年という年月が流れてしまった。龍雲は現在、還暦を迎えたキャリア40年のアーティストとして独自の存在感を持っている。
「自分の人生を追体験できる貴重なコンサート!」
今一番私が共感を覚えているのが、去年の12月13日にリリースされた龍雲のニュー・アルバム「オイビト」である。
「夢を追い求めるうちにいつしか年老いて、それでも夢を追い続ける人を、オイビトと定義する」と龍雲は言っているが、このコンセプトのもとに作られているので、このアルバムはさながら“人生作品集”のように仕上がっている。
人は誰も、還暦を迎えると、それまでの人生は? と気になり、「顧みて」感慨に耽るものだ。そして思い浮かべるのは故郷の山や川、友達のこと。たまには連絡を取ってみようと「親友への手紙」を書こうとするが、仕事に追われて忘れてしまう。すると突然に悲しい訃報が届き、お前に「献杯」となる。
献杯しているうちに、これまでにやり残した心残りが浮かんでくる。もしもあの時あの女と別れなかったら、自分の人生はどうなっていたのか? と。男と女の「めぐりあわせ」ほど運命的なことはない。しかしながら、もしも運命に逆らえるとしたならば、別の人生があったのかも? ふと人生を考えさせる好アルバムである。
龍雲は〈40周年記念LIVE〉の選曲において、「顧みて」「親友への手紙」「献杯」「めぐりあわせ」というキー曲を見事なまでに適材適所に散りばめていた。だからこそ、コンサート全体が龍雲の人生のつづれ織りのようにつながっていて、聴き手が自分の人生を追体験できるのだ。
私だけではなく、聴き手のひとりひとりが龍雲の歌を聴いているうちに、歌の主人公と同化して、自分の人生をたどることになり、ふと自分の人生とは? と考えてしまうというわけである。
3時間を超える長丁場のコンサートだったが、長いと感じさせない龍雲の魅力が凝縮された素晴らしいコンサートだった。2017年度の〈年間ベスト・ライブ〉と言っても過言ではない。アルバム『オイビト』を聴きながら、たまには自分の〈人生〉を考えてみるのも必要なことではないだろうか…。
(文/富澤一誠)
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