トミー・スナイダーさんにインタビュー

-- 現在はパリに活動の拠点を置いているそうですが

87年、一度、日本から離れて日本を見たいとおもいまして。
それと、ある意味、音楽業界を、ぐるり一回りしました。
ゴダイゴの活動プラス、作詞、作曲、歌、プロデュースと。
特に渡仏する前数年間は、CMソングの仕事が、すごかった、年に40本くらいやってました。
30秒、60秒の仕事を続けて、もっと別の、長い作品を作りたくなって。

でも、むこうに行ってからも、日本の仕事もしてましたね。
Jリーグが発足した時に、横浜マリノスのテーマ曲を作ったり。
もちろん、自分のアルバムや、パリのアーティストをプロデュースしたり、あと娘の作品もね。

-- 幅広くご活躍ですが、ゴダイゴはトミーさんにとって?

もともと日本に来ないかって声をかけられたとき、ミッキーが、バンドだけじゃなくて、人のプロデュースや映画の音楽とか、すごい幅広い話をしたのね。
明け方の4時に。

-- 4時?

電話がかかってきたのよ、アメリカの実家に。
お母さんが、朝3時45分だった、「なんか日本から電話みたいよ」って。

その2年前に、ミッキーとスティーブとアメリカで知り合って。
スティーブのGFが僕の知り合いで、結局日本に連れて行って奥さんになるんだけど。
でもその後2年間、とくに手紙のやりとりとかも無くて。

それがある日、ピザ屋でね、たまたま、久しぶりに会った女の子がいて。
何かで、ハンドバッグから封筒をだしたの。
そこに「Japan」って書いてあって。
「あ!」って思ってね、そう、その子、スティーブの奥さんとも友達だったの。
で、その住所を書き写して、元気?って、手紙を書いたの。

-- まったくの偶然だったんですね

そう、No pizza no sushi (ピザ屋に行かなかったら日本には来なかった)だったのよね。

その手紙がスティーブに届いたのも、ちょうど彼が、ミッキーとミーティングするために家を出ようとしたときで。
その時、彼らはドラマーを探していたんだよね。
で、スティーブが、ミッキーに会って、手紙をヒラヒラさせながら、「誰の手紙だと思う?」って。
その夜、アメリカでは明け方、電話がかかってきたの。
電話を切って、もう眠れなくてね、近くに住む兄のところに、朝の6時だったけど、行って、話したら、「お前はさっさと日本に行け」って(笑)

その後、ゴダイゴになるんだけど、ミッキーはやっぱり、天才なんだよね。
音楽だけじゃなくて、日本に関するいろいろなこと、教えてもらった。

ミッキーとゴダイゴは、僕にとって、diving board だったね。

-- これからは?

あと30年やろう、って30周年のときに言ったよ(笑)

ミッキーが前に言ったんだけど、僕は、日本にバンドのため「だけ」に来た最初のガイジンだって。
あと、今になって、嬉しいのは、若いミュージシャンで「ゴダイゴを聞いてバンドを始めました」って言ってくれること。
若いファンに話を聞くと、親御さんが聞いてた、とかね。
生きている限り、続けたいね。
皆さんよろしくお願いします。
ウチの娘(SHANTI)も応援してくださいね(笑)