甘い暴力 マイナスな事柄や心情を炙り出し逆説的にプラスの衝動を生み出す稀有な存在、9周年公演に見たもはや救いでしかないバンドの姿
2026/01/23
甘い暴力 9周年記念のプレゼンツ 九年目の招待
2025.12.12 KT Zepp Yokohama
マイナスとマイナスを掛けると何故かプラスになる、という数学原則。甘い暴力のライブ空間において必ずと言っていいほど生じる不可思議な高揚感は、どうもそれに近しい現象であるように思えてならないのだ。
このたびKT Zepp Yokohamaにて開催された『甘い暴力 9周年記念のプレゼンツ 九年目の招待』は、彼らにとっていろいろな意味でひとつの大きな節目となるライブだったことになる。2016年に始動して以来、これまで甘い暴力が一貫して提示してきているのは“現代のこじらせ女子達へ‘スイート・バイオレンス・ロック’を発信”というバンドコンセプトに沿った音楽世界であり、さまざまな詞の中で描かれてきたのはヒトの心中に渦巻く赤裸々な欲求の数々だと言える。
咲(Vo)
たとえば、今回のライブでの幕開け曲となっていた「ハッピィアフターピル」でボーカリスト・咲が叫ぶように歌った《死にたい》という一節は、そのまま額面どおりに受け取るよりも、生への渇望があるからこそ沸いてくる死への羨望として解釈した方が腑に落ちやすい。また、この曲の中に散りばめられている《殺して》《抱き締めて》《壊して》《助けて》《気づいて》《苦しめて》《捨てないで》といったフレーズたちはいずれも“~欲しい”という言葉をつなげることができるもので、それらが同一線上にあることこそにリアリティが感じられる。
当然、甘い暴力の創出する“どこか病んだ感じの空気感”に惹かれやすいのは元気ハツラツとしたマジョリティ的ピーポーよりも、やるせなさや後ろめたさを抱え込みがちなマイノリティ勢の方が圧倒的に多いはず。でもだからこそ、甘い暴力のライブではバンド側の放つマイナス要素と、“こじらせ女子”らの発するマイナス要素がガッツリと掛け合わされることになり、結果としてプラスに転じたあの高揚感が発生するのかもしれない。
文(Gt)
しかも、怖いのは甘い暴力がバンドとしてのこなれた表現力を持っているところで、彼らは劇薬を単に刺激物のまま提供するわけではないのだ。それこそ甘い暴力という名のとおり、本来なら危険きわまりないものを“隙のない音楽”として成立させたうえで聴かせてくれるため、受け手としては糖衣錠でも服用するようにすんなりと呑み込めてしまう。そのあたりは今回のライブでもさまざまな場面で発揮されていたところで、ギタリスト・文がいくら殺伐とした音を奏でようと、ベーシスト・義がどれだけ激しい波動を繰りだそうと、ドラマー・啓がことごとく攻めた叩き方をしようと、ボーカリスト・咲がとめどなく容赦のないパフォーマンスを展開しようと、そこにエンタテインメントとしての破綻は一切見受けられないのである。甘い暴力がここまで9年にもわたりライブの場で叩き上げてきたライブバンドとしての強靭さは、一朝一夕ではなしえぬ財産そのもの。
ただ、逆に言えば“そうであるからこそ”彼らは今回ある種の淵に立ちながらのステージングをしていたとも言えるだろう。先だっての「来年は10周年という節目のタイミングではありますが、2026年2月15日をもちまして、ドラムの啓が 甘い暴力のメンバーとしての活動を終了することとなりました。」というあの発表を踏まえると、現体制での周年記念ワンマンはこれが最後だったことになってしまうのだ。
義(Ba)
「俺たちは何があっても大丈夫なんだよ。男に二言はねぇ。しかし、今この9年目に来て一度だけ弱音を吐かせてくれるんだったら言わせてくれ。……大丈夫なわけねぇーだろっっ! どいつもこいつも、ブッ飛ばすことができてたらどれだけ楽だったか。ク○リに逃げたり、酒に逃げたりしてればどうにかなってたかもしれねぇけど。俺の中の俺がそれを許さなかった。そして、今まで誰から何と言われようと俺たちはずっとやり続けてきたんだよ。わかるか!」(咲)
いやはや本当に、この言葉のあと歌われた「だいじょばない」の切実さといったらなかった。もともとは恋愛の歌として作られたものではあるのだろうが、この機に聴くそれは啓とのこれまでの日々、甘い暴力をやがて巣立ってゆく啓への想い、別れを前にだいじょばない自分に対しての《大丈夫、言い聞かせるから》という言霊にあふれていて、限りなくドキュメントなものとしてこの場に響いた。
「ひとまずは丸9年、おめでとう。そしてありがとう。9年前は何もなかったんだよ。それに、すぐ消えるって言われてた。泣こうがわめこうが、メンバーとケンカになろうが、俺たちはとにかく曲を書き続けてきた。自分の中にある本当の気持ちや言葉にたどりつくまで、自己嫌悪に何回も陥りながらでも曲を書き続けてきた。そんな甘い暴力を見つけて聴いてくれてる君たちは、きっと“もう死にてぇ”とか“消えたい”とか思ってる人の集まりなんだと思う。いいんだよ、俺もそのうちのひとりだから。おまえがどれだけ自傷行為に走ろうが、俺は止めない。しかし! そういう時に、おまえがひとりで誰も頼れるヒトがいなって泣いてる時に、ここで悲しむ4人がいることを忘れるな」(咲)
啓(Dr)
話は少し前後してしまうものの、この言葉は今宵のライブ中盤で「死に方を教えて」の前に語られた言葉となる。案の定この曲では感動のあまりむせび泣く観客が続出することとなってしまったのだが、そこからのアフターフォローがまた鮮やかの一言。
「おまえら、泣き過ぎな(笑)。わかる、気持ちはわかる。でも、そこをひっくり返すのが甘い暴力でございますから!」(咲)
ということで、泣かせた後に甘い暴力のワンマンに必用不可欠な箸休め的な“茶番”が準備されていたところも実に巧妙で、今宵は楽器隊メンバーたちが9周年にちなんだゲームを和気あいあいと行い、観客たちをたっぷりと笑わせることとなった次第だ。
つまり。暴れるもよし、泣くもよし、笑うもよし、感情移入するもよし。なのが、甘い暴力のライブの醍醐味だということになろうか。情緒の面では振り回されることになってしまうとも言えるが、その振り回され感はきっとヤミツキ感ともつながる。
「ありがとうございました。9年目にふさわしいライブ。俺たちにとって初めてのZeppでのライブ。そして、たくさんの課題が残ったライブでした。だけど、一片も悔いはない。これだけ一体感のあるライブは、あなたが生み出したんだよ。俺はただ切っ掛けを与えただけ。自分でやったんだよ、この熱量。(中略)とにかく、大丈夫じゃないっていう本音はさっき「だいじょばない」を歌って吐きだしたから、もう本当に大丈夫。俺たちは最高の10年目に向かってやっていくんだよ。ずっとやれるわけじゃないんだ。俺はおまえたちに言い続けてきたよな。何時ぶっ倒れるかわからない。何時なにが起こるかわからない。こちとら適当になんか生きてらんねーんだよ! あと何度、こうやって本気でライブができるんだろう。あと何度、コイツ(啓)とライブができるんだろうな!! しかしそれでも、俺たちはこれからもやっていく。そう、人はみな“どうせ死ぬ”!!!」(咲)
マイナスな事柄やマイナスな心情を、これでもかと炙り出す甘い暴力が逆説的なプラスの衝動を生みだす稀有な存在なのだとしたら。それはもはや、救いでしかない。
2月6日には東京、2月15日には大阪での『甘い暴力 啓ちゃん卒業のプレゼンツ「はっぴぃぃぃぃ!!!!」』を行い、それからほどなく新体制での『甘い暴力 2026春のプレゼンツツアー「虎伏戦吼」』を2月23日からスタートさせる彼らのマイナスとマイナスを掛けあわせていく日々から、次にいかなるプラス要素が編み出されていくことになるのか。ここはお手並み拝見といこうではないか。
取材・文=杉江由紀 撮影=加藤千絵(CAPS)


















