第27回
伝説の〈吉田拓郎&かぐや姫 コンサート・イン・つま恋〉をあなたは知っているか?
2016/05/12
ゴールデンウィークということもあり久しぶりに休暇をとった。というわけで、今回はライブ観劇は休みとなった。
そこで四十一年前に行われた伝説の〈吉田拓郎&かぐや姫 コンサート・イン・つま恋〉のコンサート評の再録をしてみたい。これは当時二十四歳だった私が〈つま恋コンサート〉に実際に行ってみて、この目で見、この耳で聴き、この心で感じたことの一部始終である。当時の原文のまま再録したい。
★本当に五万人が集まるのか?
一九七五年八月二日、午前十一時四十分発名古屋行きこだま号に飛び乗って東京をたった。むかうは、もちろん、吉田拓郎とかぐや姫が十二時間のマラソン・コンサートを敢行する〈つま恋〉である。
こだま号は満員だったがなんとか席は確保できた。そうして「誰かいるかな」と車内を見わたしてみれば、いるわいるわジーンズにサングラスの若者が。悪いと思ったがすかさず地獄耳をたててみるとなにやら話し声が聞こえてくる。
「五万人コンサートといったろう。お前本当に五万人集まると思うか。どうだ三人で千円ずつかけないか? 集まるか、どうかにさ」
「そうだな、面白そうじゃないか、やろうよ。そうだな、俺は集まらないと思うね。まあ集まって三万人てとこかな。だってよ、ジュリーのコンサートで一万八千人、あの西城秀樹だって三万人だもんな」
「俺もそう思うよ。まあ、いって三万人。お前はどうだ」
「俺は五万人集まると思うよ。だって四万枚の前売り券は全部売り切れたっていうじゃないか……」
こんな話を耳にして、ぼくも「なーるほどね」と感心してしまった。というのは、ぼく自身、関係者から「前売り券は全部さばけましたよ」と聞かされていたけれども、正直言って、この目でしかと確かめるまでは、まさか五万人が本当に入るなんてとても信用できなかった。
だって、あのグランド・ファンク・レイルロードの後楽園スタジアムでのコンサートだって五万人にはとても、とても……エマーソン・レイク&パーマーだって。それに、さっきの連中の話ではないが、人気絶頂の西城秀樹だって三万人がやっと。スーパースター・沢田研二だって二万人まで。とくれば、いかに我らの拓郎、かぐや姫だって……。
ところが、午後三時ちょっと前。浜松駅で新幹線から東海道線に乗り換えて掛川駅に着いてみると、駅前は人、人、人の群れで身動きがとれず。タクシーに乗ろうと思っても千人ぐらいが列を作っていてとても、とても。そこで、ぼくは友だちとテクテクと歩いていくと、また歩く人もたくさんいて延々と数珠つなぎ。途中で立寄ったカメラ店のおばさんは、物珍しそうに「とにかくすごい人ですよ。もう午前中までに四万人も入ったとニュースで言っていましたよ。そういえば、午前中、うちの前もゾロゾロとそれこそデモみたいな人の数でしたよ」と話してくれた。
しかし暑い。もう太陽にやられて日射病にかかりそう。遠いな、もう二十分は歩いたろうか。まだ、まーだ。そうこうしているうちにやっと〈つま恋〉の入口に到着した。本部で報道関係社用の青い腕章をもらって「さて、どのくらい入っているか?」この目で確認したくて急ぎ足で多目的広場へ行ってみると、これがなんとだだっ広い野っ原に人の絨毯を敷きつめたようではないか。「嘘だろ?」と、ぼくは目をこすってもう一度見てみたが、確かに間違いはない。一面の人の絨毯だった。
これなら間違いなく五万人はいるとそのとき思った。この数をみれば、一年前の郡山ワン・ステップ・フェスティバルなんて屁みたいなものだ。ぼくは五万人という人の数を現実に目の前にして、「おそらく五万人は集まらないだろう」という自分の予想がはずれたことを嬉しく思った。なぜなら、新しい若者の音楽=ニューミュージックの力がこんなにあったなんてとっても嬉しいじゃないか! ジュリーだって秀樹だって五万人は集められなかったのだ。ザマーミロ! ぼくは、とにかく五万人の聴衆を見て正直にそう思った。
確かに、新しい状況を切り開くとか……についてはかつての中津川フォーク・ジャンボリーの方が意義があったかもしれない。でも、五万人――これこそニューミュージックの力の強さではないか。
午後五時ちょっとすぎに、トランザムの演奏する「あゝ青春」のイントロにのって、拓郎が現れた。
そして“ひとつ 一人じゃ淋しすぎる”と歌い出した。もう割れんばかりの拍手である。うたい終わって「みんな元気。拓郎です。おい、元気かい。今日は朝までやるよ。朝までやるよ」と、拓郎は元気に怒鳴った。むろん、それに応えて、みんなは「俺も朝まで起きて聴くよ」という意味の拍手を送った。
それから一時間半あまり、拓郎は「人生を語らず」「ペニーレインでバーボン」「イメージの詩」などを一気にうたいまくった。しかし、出足は良くなかったようだ。というのは、声はガラガラ、声量もなく、加えて疲れているのかリズムにもう一歩ノリきれない。ぼくは、拓郎は大丈夫か、と思った。みんなも、その辺を微妙にキャッチして、あちこちから「拓郎、どうした、元気がないぞ」という声が聞かれたほどだった。しかし、そこはそれ。さすが我らが拓郎。「イメージの詩」などみんなが知っている曲をやると、もう拍手、拍手。
拓郎が終わって三十分ぐらいして今度は、かぐや姫が登場した。
オープニング・テーマは「人生は流行ステップ」だった。「えー、今日は久々にパンダさん、正やん、そしてぼくが集まって、またもとのように三人でやります」とこうせつが言って、かぐや姫は「黄色い船」「なごり雪」などヒット・ナンバーをうたった。
途中から陽がくれてきた。そして照明がとてもよくはえて、それに伴って、いよいよ野外コンサートらしい雰囲気が盛り上がってきた。また、拓郎に比べて、かぐや姫は絶好調だった。こうせつのしゃべりも冴えていた。みんなもノリにノリまくっていた。
しかし、アッという間にかぐや姫の演奏も終わってしまった。そして八時三十分、場内放送が行なわれた。
「静岡県条例によって十八歳未満の人は十時以降外出することができません。したがって、ここにいることができませんのですみやかに退場して下さい」
なんだこれ! 県条例とはいえ、これからコンサートは佳境に入るというのに、これはないだろうと思った。実際、半分の二万五千人ぐらいは十八歳未満だというのに…。でも退場した人はわずかに四百人ぐらいだった。オー、骨のあること。
午後九時十五分。再び拓郎がステージに現れた。
いきなり「夏休み」という激しい曲をうたいはじめた。この曲を聴いて、ぼくは、拓郎は今度はいいなと思った。というのは、第一部では、恐らく拓郎は五万人の大聴衆を前にしてあがったのだろう。力みすぎていて、歌に説得力がなかったが、今度は実に自然にのびのびと素直にうたっているようだった。
そんな感じで第二部では「旅の宿」「結婚しようよ」「伽草子」など懐かしい曲を歌った。聴衆も今度はノッている。「拓郎、拓郎」という叫び声が聞こえたり、一緒にうたう歌声が聞こえたりした。
拓郎の後は、山本コウタローとウィークエンドが飛び入り出演した。
ちょうどこの少し前警備の警察官に投石するという騒ぎがあったが、山本コウタローの「せっかく、こんなに集まったっていうのに、投石事件が起きるなんて淋しい気がするな。だって、やっとここまで大きくなった僕たちの新しい音楽が、投石事件なんていうつまらないことにすり替えられてしまったら、それこそ……」という一語に救われた。ぼくは、まったくその通りだ、と思った。ニューミュージックの力がせっかく五万人を集めて再確認されようとしているときに、投石事件なんか起きれば、それこそそっちの事件にすり替えられてしまって、またまた「不良の集まり」と悪口雑言を言われてしまうからだ。
このあと、コンサートは十二時を境にしていよいよクライマックスに達するわけだが、ぼくは缶ビールを一ダースほど飲んでしまって意識朦朧。しかし頑張って聞きましたぞ。
コウタローの後は、かぐや姫。そして、かぐや姫のあとは、正やんの風、風のあとは山田パンダのソロ。パンダのあとは南こうせつのソロ……と続いたが、このときが一番いけなかったようだ。
というのは、かぐや姫で盛り上がったのはいいが、風、パンダと小休止ばかり続いてどうもうまくノレないのだ。それに「拓郎+かぐや姫コンサート」という触れ込みなのに、コウタローとか風とかパンダが出てくるなんて……。拓郎とかぐや姫だけで十二時間やるという話とは全然違うではないか。恐らくこんな気持からだろうが「なんだこれは、手抜きコンサートではないか」と大騒ぎするグループもいたようだ。
ぼくも、まったくこの「手抜きコンサート」という意見にはうなずけた。正直言って、ぼくだって拓郎とかかぐや姫がそれぞれ二時間ずつ三ステージをやるから来たのだ。それを、いくらかぐや姫の分身と言っても、風、パンダ……のステージを見に来たのではない。これはたしかに「PR用に……」という事務所側の配慮からだろうが、かえって裏目と出て汚点だったようだ。
しかし、南こうせつのステージがそんなシラケた空気をけ散らしてくれた。「おーい、起きろ! 起きろ! みんな起きろ!」と彼は怒鳴って、「花一文目」「粉雪」「荻窪二丁目」「嵐の航海」などをうたいまくった。そして「かえり道」を最後に、拓郎とバトン・タッチをした。
★最後に拓郎が「人間なんて」を絶叫
拓郎が現れたのは午前三時頃だっただろうか? この三時を前後して、ぼくはとうとうビールの飲みすぎでダウンしてしまってあとのことはよくは覚えていないのだが……しかし、けたたましいトランペットの音と拍手とドスッ、ドスッという足音と「人間なんて……」という歌声で、寝ていられなくなって起きてしまった。
するとどうだ。東の方はうっすらと陽の光がさしこみ、あたりはもう白々しい。そしてあたりを見わたせば、午前二時頃には寝ている人の数がめっきり多かったのにその頃はもう寝ている人なんていない。みんな立って拍手をして足を踏みならして「人間なんて」と絶叫しているではないか。
ぼくも、気がついたときには、思わず「人間なんて」とうたい、拍手し、足を踏みならしていたが、拓郎の「もっと、もっと……」という声にあわせて「人間なんて」を何度も怒鳴っていると、自然と涙がこぼれて仕方がなかった。
正直言って、ぼくは今まで「人間なんて」という歌はあまり好きではなかった。「人間なんて…」と聞いても何も感じなかったからだ。しかし、このときばかりは「人間なんて、人間なんて…」と絶叫しているうちに、ぼくの頭のなかに種々なことが浮かんでは消えていった。それは、頭の中に自然と人生が見えてくるような、悩み、怒り、楽しさ……が見えてくる、そんな感じだった。
そして自然と涙がぽろぽろと流れ落ちてきた。「これが歌なんだ」と、そのときぼくは思った。
「人間なんて」の絶叫を最後にコンサートは終わった。拓郎が貧血で倒れてアンコールもなかった。それがとても残念だったが……。
一日たった八月四日。ぼくは〈つま恋〉のコンサートを思い出していた。そしてそれを評価しようと思った。しかし、ぼくにはあえて言うことはない。たしかに、かつての〈中津川フォーク・ジャンボリー〉のように、コンサートで新しい音楽状況を切り開くような感じではない。だが、新しい状況は切り開かないけれども、吉田拓郎、かぐや姫だけで五万人という大動員を記録したということは、ニューミュージックの力を対内的には再確認させ、対外的には誇示したということだ。どうだ見たか、ニューミュージックの力を! ぼくはこれで充分だと思う。ニューミュージックの力を示したことで、このコンサートは充分すぎるほどの大成功を収めたと思うのだ。
あとはもう自信を持って、ただ進むだけである。とにかく、ニューミュージックの力はすごいのだから……。
(文/富澤一誠)