第38回
吉田拓郎の歌こそ私たちの人生のまさにテーマソングなのだ!
2016/10/27
拓郎に対する歓声――正直に言って、この歓声こそが拓郎というアーティストの存在を独自のものにしている、と私は思っている。もちろん他のどのアーティストにもそれなりの歓声はある。しかしながら、拓郎に対するそれとは根本的に“質”が違うのだ。
10月19日(水)、東京国際フォーラム・ホールAで〈吉田拓郎LIVE 2016〉が行われたが、その“歓声”は健在だった。
拓郎が登場して1曲目はいきなり「春だったね」から始まった。2曲目は「やせっぽちのブルース」、3曲目は「マークⅡ」、そして4曲目が「落陽」。「落陽」が始まった瞬間、コンサートはいきなりアンコールのような盛りあがり、いうならのっけからコンサートはもう全力疾走だ。このあたりの盛りあげかたがまさに拓郎の拓郎たる所以なのだ。
序盤から“歓声”を聞きながら私はこの歓声のことを考えていた。この歓声はどこから生まれてきているのかと……。それは拓郎の歌は私たちにとって単なるヒット曲でもなければ、よくある青春時代に流れていたBGMでもないということだ。
では何か?というと、私たちひとりひとりの人生におけるテーマソングではないか、ということ。拓郎の歌は、少なくとも私にとっては、私の人生を決定づけた歌である。そう。私は拓郎の歌によって〈人生〉が変わってしまったのだ。その意味においては、拓郎の歌こそが私の人生のまさにテーマソングなのである。
1970年4月、私は東大に入学したが2年で中退してしまった。そのきっかけは大学1年の終わり頃、ラジオの深夜放送で実にショッキングな歌を耳にしたからだ。吉田拓郎の「今日までそして明日から」だった。
初めはなに気なく耳に入ってきた歌だったが、いつしか「そうだ、その通りだ」とうなずいている自分を発見してびっくりしたものだ。「ぼくの今の心情を見事に歌い切っている。こんな歌があったのか?」。そう思うと、いてもたってもいられなかった。
その頃、私は東大という最大目標を手に入れたのと引き換えに、自分の生きる糧をなくしてしまっていた。それからは何の目的もない空しい日々が続いていた。入学して3ヵ月目からはほとんど講義には出ないで、大学近くにある喫茶店に入りびたっては、マンガを見たりレコードを聴いていた。しかし、こんなはずじゃなかった、という思いは常に持っていた。
私と違って、拓郎はフォークを歌うという行為によって、何かをつかもうとしているようだった。少なくとも私にはそう思えた。そのとき、拓郎こそ、私にとっての人生の指針ではないかと思った。拓郎との出会いで、私は拓郎のように行動を起こさなければならないと決心した。私の“青春の風”が拓郎と共鳴して反応を起こし騒いだのだ。それからすぐに大学を中退した。二十歳のことだった。つまり、私は拓郎に刺激を受け、触発され、跳んだということだ。
しかしながら、思い通りにはいかなかった。情熱に突き動かされるがまま、歌手、作詞家、イベンター(コンサートの主催者)にチャレンジしたが、いずれも失敗してしまった。それでも、私はあきらめなかった。何かをしたい、という思いは消え去ることがなかったからだ。
そんなある日のこと、アルバイトの帰りに、私は下北沢駅前にある書店に入った。何か面白い本はないものかと物色していると、フォークの神様“岡林信康”特集という活字が目に飛び込んできたので手に取ると、それはフォーク専門の音楽誌『新譜ジャーナル』だった。
さっそく買い求め、近くの喫茶店で岡林特集を読んでいると無性に腹が立ってきた。なんだこの記事は、こんなことしか書けないのか。こんなのだったら、私の方がよっぽどましだ。そんな思いが沸き上がってきた。これでもプロか?そう吐き捨てると、私はその場で思いのたけを文字にしていた。書き上げた論文にメッセージを添えて、『新譜ジャーナル』編集長宛に郵送した。結果的に、この投稿が私に幸運を呼び込むことになる。
これは私の個人的〈拓郎経験〉だが、拓郎ファンにはひとりずつにこのような〈拓郎経験〉があるはずだ。だからこそ、拓郎の歌は単なるヒット曲ではなく、それぞれにとっては〈人生を変えた歌〉であり、つまるところ、自分の人生における〈テーマソング〉なのだ。そんなそれぞれの熱い想いが凝縮されて爆発したのが拓郎に対する〈歓声〉なのであり、この熱い〈歓声〉があるかぎり吉田拓郎は不滅なのである。
コンサートはMCを入れながら進んだがいい感じで聴くことができた。1曲目の「春だったね」から本編ラスト曲の「流星」まで18曲、そしてアンコールは「ある雨の日の情景」「WOO BABY」「悲しいのは」「人生を語らず」の4曲。どの曲を取っても思い入れは深く、また、じっくりと聴けたので充足感に満ちていた。
ディランがノーベル文学賞を受賞して拓郎が何ていうのか?固唾を飲んで見守っているタイムリーな時期に遭遇できるとはラッキー以外の何物でもない。受賞に関しては直接語ることはなかったが、「風に吹かれて」をフルコーラスで歌ったことにディランに対する拓郎のリスペクトを感じないではいられなかった。
最後にこれだけは言っておきたいと思うことがある。
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した際に吉田拓郎は「もし、あの時にボブ・ディランがいなかったら、と考える。ボブ・ディランがいたから今日があるような気もする。多くのことがそこから始まったと僕は思うのだ」というコメントを出したが、これは〈ディラン〉を〈拓郎〉に替えたら、そっくりそのまま日本の音楽界にあてはまるのではないか。そう。吉田拓郎こそが“和製ボブ・ディラン”であり、拓郎がいなければ今のJポップ・シーンはありえないのだ、と私は思う。
〈吉田拓郎LIVE 2016〉で私たちにどれだけのパワーを与えてくれたことか。吉田拓郎の存在そのものがメッセージであり〈人生応援歌〉なのだ。
(文/富澤一誠)