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恒例、心斎橋劇場での細坪基佳のライブ。 例年、落ち着いたシックなホールで、繊細なアコースティックギターやピアノに乗せたハイトーンの美声が響き渡り、上質な大人のポップスを堪能させてくれる。 今年は、2009年「思い出は風の中に」以来、9年ぶりに6月6日に発売されたオリジナルアルバム「Old time is Good time」から新曲5曲を披露。 御年65歳でなお現在進行形で思いを伝えるシンガーソングライターとして、飽くなき創造・表現を追求する意欲が漲り、往年のファンには頼もしい姿であった。 ふきのとう時代、レコード以上にライブの歌唱の方がすごいと思っていたが、改めて、今この瞬間のリアルな感情がダイレクトに届く、伸びやかな歌声の「生の響き」が、やはり心地良いと感じた。 レコーディング時のバンド編成と違い、シンプルなギター2本だけの演奏であっても、この編成だからこそ、彼の類まれなヴォーカリストとしての才気を目の当たりにし、圧倒され、感動させられるのだ。 この日、冒頭、「開催数日前の大阪地震の影響で、開催を決断するまで逡巡があったが、45年間歌うことで思いを伝えてきたから、愚直に今日も歌いたい」という旨を真摯に語り、被災地への気遣いを見せた。 またこの日のトークは、本来の上品なホールでの客席とステージの距離感を感じさせない、客席の反応を上手に引き出しアットホームな雰囲気に変える話術で、心和む楽しい内容だったのも、細坪らしい気配りだろう。

トビウオバンドつきのスペシャルライブとあって、あんべさんビギナーの皆さんも全アルバムCD持ってる私も 影アナに爆笑し、オープニングのプロフィールスライドで同時代を生きてきた感慨に浸り、 ステージが始まると次々と繰り出される名曲の数々、被災地応援ソング、命をつづった短歌ソング、休憩中のバースデーパーティコーナー、苦悩した青い時代の歌、そしてに客席を照らすまぶしいビームライトで、ステージと一体となって歌って踊って盛り上がる重厚なロックサウンドに、心の昂揚を感じ感動で心満たされた仙台ライブでした。 今回のライブプログラムに掲載された作家高橋克彦氏のメッセージ、「60歳を過ぎて本当のピークを迎えた、こういう歌手は日本にはいない」「歳を取ればこそ伝えられるものがある。蓄積されてきたものが華開くことがあるのだと(そのことで私が勇気づけられた)」とあんべさんを評されていました。 本当にステージでのアクションも歌唱も年齢を感じさせない今一番旬なアーティストの輝きを放っておられました。 私みたいな市井の者が偉そうですみませんが、私もあんべさんが何か一つ突き抜けた高みともいえるような人生を極めたステージに立っていると感じます。 全然マスターズじゃないのです。エネルギッシュで自然体の現役ロックフォークライブで、観る側も「中高年」である自分の年齢が意識から消えてしまいます。 それは、あんべさん本人が年齢を意識してないから、見る側もその境地引きこまれるのでしょう。 「僕らはつかの間の旅人」と、イーハトーブの風が教えてくれたように、太古から続く悠久の自然の流れの中で、老いも若きもその数十年の年齢差なんて、実は誤差なのかもしれません。 若いころ何故何故坊やだったというあんべさん。 ロック調強かった今回のステージでは、12月の狼のように都会の片隅で「疑問符」に煩悶し荒れ狂っていた当時の若者のそのものに思えたし、一方見事にその答えを体現しているような突き抜けた癒しの境地にある彼もそこにいて、どちらも一人の人物として何のねじれも違和感もないのです。 人はこんな風に苦悩しながらも成熟し、こうも他者に共感し励まし癒せる人になれるんだって、あんべさんというアーティストを通し、人間の光を感じます。 光とは光単体で認識できるものではありません。 あんべさんの音楽には光も闇もどちらもあり、どちらにも等価の意味があり、青い過去も成熟した現在も誰かの借りものではない、一貫した一人のアーティストの全てが真実としてここにあります。 これからもその音楽は私の心に輝きを放ち続けるでしょう。 あんべ光俊の音楽を知る者は幸せだと思います。

盛夏、世界はこんなにも光輝いていて、 このちっぽけな人生も それなりに満ち足りているはずなのに。 満面の笑顔の奥に皆、 同じ哀しみを隠し持っている。 「ただひとつだけ、君がいない」 7月1日は天野さんの異界「12回目のBIRTHDAY」 心のダムにせき止められた哀しみを 放流してくれた~Amano Shigeru 13th Memorial~ 泣いて泣いていっぱい泣いて その分心が軽くなったから、 また笑顔で、 いつか逢えるその日まで、 ほんの少しだけ「さようなら」 泣くことしか知らない赤子のように、無防備にただ泣くって良いことです。 涙は心の淀みを排泄させ、心が柔らかくしてくれます。 どこかでこんなコンサート、NSP ファンは待ってたのかもしれません。 「いいよ、どうぞ、天野君を思い出してみんなで泣いてください」って。 そして、「泣いたカラスが笑った」ってからかわれた無邪気な子供に戻って、 またいつかこの世にいない人とも会える日を夢見て、明日を元気に生きられます。 岩手県民会館ほぼ満席のオーディエンスにとって、 忘れることのできない天野氏追悼メモリアルコンサートでした。 改めて、スリーハンサムズとして、亡き天野さんの代わりにステージに立って、 NSPの音楽に命を吹き込んでくれた細坪基佳さんに心から感謝です。

2016年3月5日、浜北文化センターを皮切りに、細坪基佳の今年のコンサートツアーが始まった。ツアータイトルは「Tsubo's style」 彼はふきのとう解散後、ソロ活動と並行し、様々なアーティストとユニットを組んできたが、近年その規模も回数も多様化している。Song for Memories、座ジローズ、三浦君と細坪君、スリーハンサムズ、風のアルペジオ、アコースティックカフェ、妹尾武・・・多種多様なアーティストとの共演を通し、ボーカリストとしてエンタティナーとして、優れた才覚を発揮している。 そんな中、では「シンガーソングライター細坪基佳のアイディンティティはどこにあるのか?」という疑問が自ずと湧いてくる。 今ツアーのライブでセレクトされた曲に、「自分らしく生きる」というフレーズが多く登場するが、そもそも一体細坪基佳にとって「自分らしさ」とは何だろう? 自分らしく振る舞うのが自然体だろうが、その自然体さえも彼が表現したものしか他者は彼を認識できない。 彼は「表現」という媒体を通している以上、彼自身が表現された作品なのだ。 わかるだろうか? 誰も見ない自分しか見ないチラシの裏の書き殴りと、ひょっとして他人が見るかもしれないことを意識した文章の違いを。自分しか食べない料理と、他人が食べることを想定した料理の違いを。 表現とは誰にも見られることない自分ではなく、鑑賞者である他者に見せる「自分」なのである。 細坪基佳は、紛れもなく「表現者」である。 どの表現がより自分らしいのか、決して一問一答式に定義させない、常に自ら進化させ、生涯かけて多義的「自分らしさ」を表現し続けるアーティストなのである。 細坪基佳は還暦過ぎてなお、アーティストとして成長し続ける無限の可能性を伺わせたツアー初日であった。