第3回
没後10年で高田渡の魅力を<再発見>!
2015/05/14
音楽評論家という仕事柄、毎月数十枚のインビテーション・カード(コンサートやライブ、コンベンションなど)が届く。有難いことだが物理的に全ては行けないので、正直なところ、「行きたい」と思わせてくれるライブを選んで足を運ぶことになる。
今回私がぜひ行きたいと思ったのは、<高田渡トリビュートライブ“Just Folks”特別編>(4月18日、東京グローブ座)だった。“伝説のフォーク・シンガー”高田渡が亡くなって早くも10年が経ってしまったが、没後10年を機に、息子・高田漣による父・高田渡へのトリビュート・アルバムが制作された。と同時に、父が所属していた古巣のキング・レコードからレーベルを超えた高田渡のオールタイム・ベスト・アルバムが発売されることになった。つまり、没後10周年の特別プロジェクトが始動して、高田渡の「イキテル〜オールタイム・ベスト〜」と高田漣の「コーヒーブルース〜高田渡を歌う〜」が生まれたというわけだ。そして<高田渡トリビュートライブ>はその“花火”というわけである。
インビテーション・カードに内容が列記されていた。
第1部「高田渡を語る」 座談会・高田漣 ゲスト・井上陽水 清野茂樹(司会)
第2部「高田渡を噺す」 落語・桃月庵白酒
第3部「高田渡を歌う」 ライブ/高田漣(Vo、G)・伊賀航(B)・伊藤大地(Drs)・武川雅寛(Vl、Tp他)・関島岳郎(Tuba)・徳澤青弦カルテット ゲスト・ドレスコーズ
面白そうだな、と思った。特に座談会のゲストに井上陽水が出るというので、これはぜひ見たいと思った。なぜならば、陽水はめったに出ないどころか、“座談会”のゲストに出るなんてありえないことだからだ。きっと面白い話が聞ける、と思った。なぜなら、かつて陽水は、売れない頃、まだ“アンドレ・カンドレ”と名のっていた頃、高田渡などフォーク・シンガーと何組かでオムニバス・コンサートで全国各地をまわっていたことがあったからだ。案の定、陽水の話は面白かった。あの風貌だから、年上だと思っていたら、実は渡は陽水より1歳下(学年は同じ)だったこと。つまり、それだけ「立派に見えた」ということで爆笑を誘っていた。
<第2部>の桃月庵白酒の高田渡をネタにした創作落語は、渡の人間性を見事に浮き彫りにしていて、しみじみと考えさせられるところがあった。そして<第3部>は高田渡のオリジナル曲を息子の漣が歌うというライブ。これが素晴らしかった。高田漣が高田渡をプロデュースするとこうなる、という感じで、このライブを見ていて、私は再び高田渡に興味を持ち始めていた。もちろん、私は高田渡には1972年から76年頃にかけて何度もインタビューをしたことがあった。渡は私より2歳年上だったが、ひとまわりも上ぐらいの当時は雰囲気だった。正直言って、歌の方も人生の深いところをついて歌っていて、理解するにはなかなか難しいものだった。当時、私は渡などURC系というか音楽舎系のフォーク・シンガーよりも、吉田拓郎や泉谷しげるなどエレックレコード系のフォーク・シンガーに親しみを感じていた。わかり易かったから共感を感じていたのである。
そして40年近く年月が経ってしまった。私は今、64歳だが、高田渡の歌はなぜか今聴いた方がピンとくるのだ。あの頃はなんだか難しすぎてピンとこなかったが、今、聴くと私の潜在下の気持ちを代弁してくれていて、大いなる共感を覚えてしまうのだ。
<歌は生きている>、ライブを聴きながら私はそんなことを考えていた。歌は生きている。だからこそ、若い頃に聴いた時はピンとこなくても、それから長い年月が経った今、同じ歌を聴いてもリアリティーを感じ“共感”を覚えることもあるのである。その意味では、<歌の再発見>かもしれない。そんなことを考えると、私は今、高田渡を<再発見>したのかもしれない。<高田渡トリビュートライブ>へ行って本当に良かったと思う。(<トリビュートライブ>は各地で行われる予定なので高田漣のホームページをチェックしてみて下さい。)
(文/富澤一誠)