第52回
〈ISHYST〉はカバーソングとオリジナル・ソングが紡ぐことで織りなすタペストリーのようなまったく新しいタイプのコンサートである!
2017/05/25
最近よくある“カバーソング”のコンサートだが、でもそれだけではない。ひとひねりがしてあるので、カバーソング・コンサートだけれども“オリジナル・コンサート”でもあるのだ。
「石井竜也の感性が選んだセイムセンスの名曲揃い!」
ここ数年感、カバーブームでたくさんのアーティストたちがカバーアルバムを作り、カバーソング・コンサートをやっている。これはこれでいいのだが、正直言って、今では食傷気味である。だから、石井がカバーソング・コンサートをやると聞いたときは「なぜ今頃、カバーなのか?」と思ったものだ。
しかし、それは私の早とちりだった。というのは、彼がやろうと意図しているコンサートは、カバーソングを単に並べただけのものではなかったからだ。
まず選曲のしかたがふつうとは違っている。カバーソングをやる場合、ふつうは誰もが知っているヒット曲であり名曲ということになる。となれば必然的に誰が選曲しても同じような曲目になってしまう。後はアレンジに趣向を凝らしてどんなふうに歌うのか、ということになり“シンガー”勝負となる。
しかし、石井の選曲は根本的にそれらとは異なっていた。誰もが知っている名曲を選ぶのではなく、石井の感性でこの曲は名曲なので自分が歌い継いで後世に残したいと思ったものを選んでいくので、同じアーティストの曲が複数曲選ばれるということになる。
カバー曲を選ぶ場合、ふつうはワンアーティスト、ワンソングということになる。こちらの方がバラエティーに富むからだ。しかし、名曲で選ぶと、1組のアーティストに集中することも不思議ではない。ごもっともな話だが、今回あえて石井はこの手法を取ったのだ。当然のことながら、選ばれた曲は同じアーティストから複数曲ということになる。
たとえばペドロ&カプリシャスは「別れの朝」「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」が選ばれている。これは3曲共に名曲なのでどれか1曲を選べ、ということの方に無理がある。しかし、これまではワンアーティスト、ワンソングという常識にとらわれていたので1曲を選ぶことになる。こちらの方が本来は無理だったのだ、ということになぜ気がつかなかったのだろうか?
同じように渡辺真知子は3曲(「かもめが翔んだ日」「ブルー」「迷い道」)、八神純子は2曲(「思い出は美しすぎて」「想い出のスクリーン」)、村下孝蔵は2曲(「初恋」「踊り子」)、来生たかおは2曲(「セカンド・ラヴ」「夢の途中」)などということになる。
「カバーソングとオリジナルソングを石井竜也の歌が見事に紡いでいる」
言ってみれば、石井が「いい」と思って選んだ曲は石井と“セイムセンス”ということで共通しているものがあるので、突き詰めていけば、それはつまり、石井のオリジナル曲ともセイムセンスということになるのだ。
そのことがわかっているので、石井はコンサートのセットリストを考えるときに、自分の感性で選んだカバーソングと自分のオリジナルソング(「青に染まる窓」「潮騒」「僕の声」「プラネタリウム」など)を同列に考えて、カバーソングとオリジナルソングを織りなすようにして“つづれ織り”のような構成を考えたに違いない。つまり、カバーソングとオリジナルソングを石井という感性のセンスで歌で紡ぐことによって石井ならではの“タペストリー”を作りあげた、ということである。
カバーソングとオリジナルソングが紡ぐことで織りなすタペストリーのようなまったく新しいタイプのコンサートが〈ISHYST~REMEMBERING SONGS~〉なのである。こんなに新しいコンサートは見たことがない。カバーソング・コンサートを超えたまさに〈オリジナル・コンサート〉である。
(文/富澤一誠)
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