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青山祭 前夜祭LIVE

2003/10/31 (金) @ 青山学院大学 青山キャンパス(東京都)

遊座守さん

《一度たりとも忘れた事はない》 その夜、aikoは、そう歌った。その哀切な響きは、ずっと僕の心に残っている。僕もまた「忘れたことはない」のだ。 *** もう20年ほども前のことになるけれど、通っていた青山学院の学園祭に、aikoが来てくれた。それは僕にとって、恐らく生涯、忘れることができないであろう思い出である。あの夜の記憶を辿ると、aikoの胸を打つ歌声や、旺盛なサービス精神、バックバンドの迫力ある演奏が蘇り、自分は青学に入って良かったと思う。 しかし同時に、そのとき隣で演奏を聴いていた恋人のこと、彼女のことをズタズタと傷つけていたこと、当時の自分が愚かで不遜であったことも思い出してしまう。そして若かった自分が、境遇や将来を憂いながら、その夜を過ごしてしまったことに思い当たる。だからそれは、あっけらかんとした「よい思い出」ではないのだ。 インターネットで検索をしてみても、そのライブの詳細を書いた記事は見つからない。あのライブは多くの同窓生にとって、あまりにも尊い思い出で、みんな「そっと心にしまっておこう」と思っているのかもしれない。だから僕が記事を書くべきではないのかもしれない。でも生きているうちに、自分の覚えていることを文章にしておきたいと思う。 *** 本編はとても短かった。前座が長々と続き、aikoが歌ってくれたのは、アンコールを含めて12曲だけだった。でも、そのセットリストは、練りに練られた、これ以上は望みようがないものだったと思う。僕は「にわかファン」に分類されるような未熟なリスナーで、すべてのアルバムをラックに揃えたりはしていなかった。他方、隣にいた彼女は、超がつくほどのaiko好きで、おそらく全ての作品を愛していたのではないかと思う。会場には当然、そういった二種のファンが混在していた。 いきなり代表曲の「ボーイフレンド」を歌い、会場全体を湧かせたあとで、aikoはハッキリと、今日はマニアックな曲もやるよという趣旨のことを語った。知らない曲だなあと感じる人もいるかもしれないと。たしかに「私生活」が始まった瞬間、歓声をあげる人はいなかった。でも僕は、隣で彼女が「わあ」というような嬉しそうな反応を示したことを覚えている。aikoは全員を楽しませるために、そして、たった1人を喜ばせるために来てくれたのだ。 演奏の合間に、ファンからの呼びかけのひとつひとつに、aikoは律儀なほどに応じてくれた。あなたの声だって聞こえているよ、ひとりひとりを見ているよ、そんなことを言動で表してくれるアーティストは、とても少ないのではないか。be master of lifeの《あたしがそばにいてあげる》という歌詞は、決して「きれいごと」ではなかったのだ。aikoはステージに立ちながら、同時に各々に寄り添ってくれてもいた。僕の隣にも、彼女の隣にも、たしかにaikoがいた。 *** バックバンドの演奏も、勇壮かつデリケートなものだった。ボーカル・aikoを主役にしつつも、パワフルな音で会場を揺るがし「さすが」と言うよりほかない、凄腕の人たちばかりだった。ギター2人、ベース、ドラムス、キーボードというシンプルな編成だった。それだけの人数で、たとえば「ボーイフレンド」のような、凝ったアレンジの曲を再現するのは難しかっただろうと思うけど、物足りなさを感じることは一瞬もなかった。 僕は当時、かなり熱心にベースを弾いていたので、壇上のベーシストに嫉妬した。その気持ちを知ってか、彼女が「あなたは将来、aikoのバックバンド入りでも目指せば?」と、冗談交じりにささやいてくれたのを覚えている。叶うわけのない夢だったけれど、夢を語れるほどに若かったのだ、彼女も僕も。 *** 本編が終わり、アンコールの1曲目で聴衆を熱狂させたあと、aikoが語りはじめたことに、ドキリとさせられた。たしかaikoは、こんなことを話した。もしあなたが恋人に、意地を張って「別れよう」と言ってしまった経験を持ち、そのことを忘れられないでいるのなら、その気持ちに届けるように歌うつもりでいると。 実を言うと僕は当時、彼女と別れることを考えはじめていた。まだ結論は出していなかったけど、いずれそうすることになるだろうと考えてはいた。彼女を嫌いになったわけではない。むしろ僕にはもったいないくらいの女だった。それでも若いなりに考えていることがあって、その関係を終える気持ちを固めつつあった。 心を込めると宣言した上で、aikoは歌い始めた。それは未発表の、のちに最高傑作として愛されることになる、美しいバラード「えりあし」だった。ギタリストもベーシストも、そしてドラマーも、さりげなくステージから去っていて、キーボードだけの伴奏に乗せて、aikoは歌った。 心が震えた。はじめて聴く曲でも、ぶるぶると心が震えることが、この世界で起こりうるのだと知った。それまでも、それ以後も、ライブで「あれ以上」の感動を味わったことはない。aikoが実際に「忘れられない人」を胸に刻んでいるのかは分からない。あれほど魅力的な女性が、つらい恋愛事情を抱えているとは、正直、考えにくい。でも多分、それは「プロとして書いた曲」ではなく、紛れもない直情だったのだろうと思う。それほどまでに歌声は哀切だった。 *** 永い年月が流れ、もちろん僕の隣には、あのとき付き合っていた彼女はいない。今どうしているのか分からない。生きているのかさえ分からない。彼女に焼いてもらったaikoのMDは、義妹に引き取ってもらった。恐らく彼女は、どこかで元気で生きていたとしても、僕の顔を忘れていると思う。存在自体を忘れられていても仕方ないと思っている。 そして僕は、aikoの曲を、それほど頻繁には聴かないようになってしまった。ライブに足を運んだのは、あの学園祭が最初で最後だった。もちろんaikoを嫌いになったわけではない。それでも好みというものは、加齢とともに変わっていくものだ。それは避けようのないことだ。ただ、あの時、あの瞬間、aikoが心を震わせてくれたことは《一度たりとも忘れた事はない》。 僕が知らないのは彼女の消息だけではない。会場にいた学友たちが、どんな道を辿っているのか、もちろん分からない。数多の同窓生の進路や消息を、すべて把握することなどできるわけがない。手を尽くせばできるのかもしれないけど、そんなことをしようという気持ちは起こらない。 時々、自分が孤独であるように感じることがある。あまりにも多くの別れを経験してしまい、余生のような日々を過ごしているように思うことさえある。そんな屈託を抱えたまま、夜道をジョギングする。これは寂しい人生だと感じながら走る。《違うよ》とaikoの声が聞こえる。夜空から降ってくる。それを心の底から信じるほどに、純朴な歳ではなくなってしまった。それもaikoは繰り返し、違うと語りかけてくれる。世界中のリスナーに向けてではない。僕ひとりに向けてだ。 きっと命ある限り、aikoがそばにいてくれることを、僕は忘れることはないと思う。 ※《》内はaiko「えりあし」「be master of life」「ラジオ」の歌詞より引用

Love Like Aloha Memories 砂浜に持って行かれた足

2020/08/30 (日) 18:00開演 @ あなたのいる場所

遊座守さん

aiko『Love Like Aloha Memories 砂浜に持って行かれた足』を視聴したところだ。1時間強という、決して長くはない尺のなかで、これまでの歩みを振り返るような、それでいて「ひとつの新しいライブ」を生み出すかのような、そういう粋な試みをしてくれたaikoさんとご関係者に、とても感謝している。 あくまで「私にとっては」なのだけど、このたびの配信映像は「しみじみと懐かしい」というよりは、「目の前で何かが始まっている」と錯覚してしまう、そういう魅力的なものだった。 もちろん曲ごとに、あるいは1曲のなかでさえも、aikoさんの髪形や服装はチェンジしているし、そうした部分に意識を向ければ、これが「何回ものライブを繋ぎ合わせた『作品』である」ことは分かる。それでも、編集のなせる業だろうか、それともaikoさんが変わらぬ輝きを放ちつづけてきたゆえだろうか、継ぎ目を感じさせないライブに「参加」することも許された、そんな気がしている。 *** まだ首都圏は暑いけど、もう暦の上では夏は過ぎ去った。そして、この貴重な映像を見終わってしまった今、「私のなかの夏」も終わったように感じられる。aikoさんに「持っていかれた」心が、秋の気配が溶け始める空を漂っているような、季節の移ろいを受け入れられずに彷徨っているような、そんな2020.8.30.の夜である。 でも、この映像を鑑賞しなかったら、そうやって感傷にひたること、夏を名残惜しく感じること、それさえも今年は果たせなかったのではないかと考える。不要不急の外出が推奨されない、イベントの開催が難しい、大勢で集まるのが望ましくない、そういう情勢下、私たちは「区切り」さえも奪われかけていたのではないか。 「区切り」は尊いものだと思う、それが切なさを感じさせるものであっても。花火が鳴り響いたあとの余韻、波打ち際で遊んだあと足の裏についた砂、大声を張り上げたあとのノドの痛み。その全てを詰め込んだような、いくぶんビターなギフトを届けてくれたaikoさんは、紛れもない「夏女」なのではないか。aikoさんは今日、ライブを催したわけではないけど、私の目に浮かぶのは「心地よい疲れ」を味わっている、そのお姿である。「aiko」という季語があってもいいような気さえする。 インターネット上には、ファンによる感謝を表すコメントが、今も残されているようだ。そのひとつひとつが、最後の一瞬まで夏を感じ、出すべきエネルギーを出し尽くし、そしてポトリと落ちた、言うなれば線香花火である。私たちは「aikoさんの楽曲が好きである」という共通項で結ばれ、一箇所に集まり、架空の花火大会を催したことになるかもしれない。 *** aikoさんは変わらない、いつの日も輝いている、そんな意見を聴くことが多い。たしかにaikoさんの胸には、つねに「初心」が宿っているのだろう、そう私も感じることはある。そして当然、それが素晴らしい達成だとは思う。 ただ、それを素直に喜べるほどに、自分は変わらずに生きてこられたのかと、ふと悲しくなることもあるのだ。容姿が老け込んでいくのは、致し方ないことだ(そう思うことにしている)。そして「変えなければならない部分」を、若き日の自分は持っていたようにも思う。それでも、aikoさんのように誇り高く「自分は、こうやって生きてきたんだ、一貫性をもって歩んできたんだ」と全身で表せるような「何か」を、はたして私はひとつでも、持っているだろうか。 そんなことを考えてしまうのは、やはり夏が終わったせいもあるかもしれない。 *** aikoさんの作品には「花火」という題のものがあり、それを私は好きなのだけど、文字通りの「花火」というのは、いくぶん悲しい「人類の生み出してしまったフラジャイル」なのではないかと、考えることがある。 たしかに花火は奇麗だ、それでも、その「命」は、あまりに短い。打ち上げ花火も、手持ちの花火も、束の間、鮮やかに光り、そして消えてしまう。かといって、花火を写真に撮って壁にかけておいたりすることは、個人的に好まない。私たちは案外、儚さというものが好きで、その残酷な嗜好に応えてくれるのが、そのためだけに生きてくれるのが、花火という「もの」なのではないだろうか。 aikoさんが短い時間に、そのキャリアを詰め込んだ芸術作品『Love Like Aloha Memories 砂浜に持って行かれた足』も、ある種の「花火」だったのかもしれない。私たちは一回性の煌めきを求めて、ユーチューブに集ったのかもしれない。何度も観返せる映像が残されていってほしいとは思うけど、何度も聴き返せるCDを手元に置きたいとも思うけど、ライブ後の「ああ、終わってしまった…」という悲しみを、これまでに私たちは求めてきたし、これからも求めていくことになるのではないだろうか。 *** aikoさんがご自身のことを、ライブを終えるたびに「まるで花火のようだ」とお感じになっているのかは分からない。それでも一度、一度のパフォーマンスのなかに、きっとaikoさんは潔いほどに熱を込めてきてくれたのではないだろうか。ある意味、何度となく「燃え尽きて」きたのが、aikoさんというシンガーソングライターなのではないだろうか。だからこそ「次なる一発」を、私たちは息を殺して、目を輝かせて、見上げることになるのだと思う。 2020年の夏は終わった、そしてaikoさんの、このたびの催しも終わった。その「束の間の静寂」のなかで、私たちは「観ることのできた奇跡的な一夜」を、各々の心に刻み付けたいものだ。 ありがとうございます、aikoさん。 そしてお元気で、一緒に視聴していた、各地で何とか生きている皆さん。

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