第25回
4月9日は〈フォークソングの日〉、回を重ねていくうちに新しい〈ムーブメント〉になるに違いない!
2016/04/14
4月9日は何の日か知っている?
4は「フォー」、9は「ク」で「フォーク」、つまり〈フォークソングの日〉というわけだ。
1年前の2015年4月9日に、一般社団法人日本記念日協会によって〈フォークソングの日〉は認定され登録された。申請者は石垣島出身の女性デュオ・グループ“やなわらばー”。
なぜ彼女たちが申請したのかというと、フォークソングに興味を持ってカバ-・アルバム「縁唄(えにしうた)」をリリースしたことでフォークの魅力にとりつかれた彼女たちは、よりフォークをたくさんの人たちに聴いてもらいたいと考えるうちに、フォークソングの日があったらいいな、という純粋な気持ちが湧いた。そこから生まれたものだ。
4月9日は前から「フォーク」ということで「フォークの日」という言葉はあったが、記念日ということで登録しようとは誰も思わなかった。「フォーク世代でもない私たちが申請したのはおこがましいことなんですが……」と、やなわらばーは言う。逆にフォーク世代ではない若い世代の彼女たちが“旗振り役”となってくれたことで〈フォークソングの日〉は世代を超えて広がっていく可能性が出てきた、と私は思っている。
そんなムーブメントの第1弾ともいうべきイベントが、〈フォークソングの日〉にあたる4月9日(土)に東京・世田谷にある国立音楽院のパラダイスホールで行われた。イベント名はずばり〈フォークソングの日2016〉だ。
当日はコンサートだけではなく様々なイベントが行なわれた。ヤイリギターによるVINCENTモデルの展示販売会、フォーク酒場・落陽プロデュースによるフォークソングのアナログ・レコード及びフォークにまつわる雑誌、書籍などの展示会、その他にも〈オープンマイク~あなたのフォークを聴かせてよ!~〉というアマチュア・ミュージシャンによる一般応募ライブなど盛りだくさんだった。そして、メインは〈フォークソング 2016プレミアムライブ〉で、やなわらばーの東里梨生(ボーカル、アコースティック・ギター)、石垣優(ボーカル、三線)をホスト役にしたフォークソング・ライブ。
〈オープニング・アクト〉はフォーク酒場・落陽新橋店のマスターであり、4月13日にフライングハイ・レーベルより「甦る人々」でデビューを飾るミッキー(田辺芳子)。「私は50歳になりますが……」と言って歌い出したが、私は「50歳」と聴いて、これはいいと思った。
というのは、秋元順子、レーモンド松屋の出現以来、50歳過ぎの歌の上手いおじさん、おばさんを捜せ、というのが私のテーマだからだ。若いときには歌で勝負ができなかったけれども、今ようやく生活にゆとりができて好きな歌が歌えるようになり、そこから素直な歌が生まれるのだ。これぞまさしく“大人の歌”〈Age Free Music〉なのである。
本編はまずホスト役のやなわらばーのステージから始まった。元・かぐや姫、元・風のフォーク・レジェンド・伊勢正三プロデュースの「渋谷川」はまさに今のフォークソングでぐっとくるものがあった。
続いては〈青木まり子〉のライブ。再結成された五つの赤い風船のボーカリストとして活躍している彼女の歌は奥行きが深い。これぞベテランの味というか、フォークっていいよな、と思わせてくれる大人の味わいだった。
やなわらばーとのコラボレーションは「恋人もいないのに」。
玉井妙子と田中由美子によるフォーク・デュオ“シモンズ”のデビュー曲で1971年8月5日リリース。作曲は五つの赤い風船のリーダー・西岡たかし。西岡の美しいメロディーとシモンズのさわやかなハーモニーが見事に融合した「恋人もいないのに」はヒットして、同年のレコード大賞新人賞を受賞した。
そんなフォークの名曲を青木まり子とやなわらばーがコラボすると、これが見事に化学反応を起こして新鮮に聴こえてくるのだ。親子ほどの年の差からかもし出される世代を超えた歌とはまさにこのことを言うのだろう。アットホームな雰囲気が秀逸だった。
続いてはビリケンのライブ。フォークソング好きのビリーとヒップホップ好きのケンの2人からなるビリケンの魅力は、フォークとヒップホップという異なるもののハイブリッドによる、まったく新しい〈ヒップフォーク〉なるニュー・ジャンル。名曲「なごり雪」をヒップホップにしたデビュー曲「nagoriyuki」の衝撃は今でも鮮烈だ。
コラボ曲は名曲中の名曲「『いちご白書』をもう一度」で、ヒップフォークと正統派フォークのハイブリッドによる、えも言われぬ不思議な世界。名曲はどんな編成にも、編曲にも耐えるということだろうか? こんなに面白い「『いちご白書』をもう一度」は初めての体験だった。
続いては、手前ミソではあるが、〈トーク・ステージ〉のスペシャル・ゲストとして私が登場して、ホスト役のやなわらばーの2人とMCのわたなべヨシコさんとトーク・ライブを繰りひろげた。
私は1971年秋、ラジオの深夜放送で吉田拓郎の「今日までそして明日から」を聴いたことがきっかけで、拓郎の歌に触発されて大学を中退してしまった。私は拓郎の歌に刺激を受け触発され跳んだ、ということだ。つまり、フォークは人の人生を変えてしまう力を持った歌なのである、ということを私の実体験を通して語ったのだ。拓郎の歌を聴いて跳んだ結果、音楽評論家となり、今年45周年を迎えている。
続いては小室等の登場。今年73歳になる〈フォークの長老〉は老いてますます意気軒高というか、いや、ますます過激になっているのを見て逆に触発され元気をもらった。
「こんなきな臭い時代だからこそあえてこの歌を歌います」と言って歌い出したのが「死んだ男の残したものは」だった。この歌は谷川俊太郎作詞、武満徹作曲による“反戦歌”で、ベトナム戦争のさなかの1965年に〈ベトナムの平和を願う市民の会〉のために作られて、友竹正則によって歌われた。以降、たくさんのアーティストによって歌い継がれている。小室が淡々と歌う「死んだ男の残したものは」を聴いて、リアリティーを重く持ってしまったこの歌を複雑な気持ちで考えてしまった。本当はこの歌が必要とされない平和な時代がいいに決まっている。しかし、時代は平和とは逆行してしまっているだけにこの歌がリアリティーを増しているのだ。平和を願う小室の熱い想いがひしひしと伝わってくる、まさに〈プロテスト・フォーク〉だった。
やなわらばーとのコラボは彼女たちのリクエストによる「雨が空から降れば」。この歌は劇作家・別役実の詩に小室が曲をつけたフォークの名曲で、吉田拓郎がコンサートで取り上げたりしてフォーク・ファンの間では人気曲となった。71年4月1日リリースの曲がコラボによって見事に今の世に生まれ変わったのだ。
ラスト・ステージはなぎらけんいち。なぎらは独自のスタンスを持ったフォーク・シンガーでデビュー以来40数年間決してぶれないところが素晴らしい。「銀座カンカン娘」から始まって、2曲目はやなわらばーとのコラボで「ブラブラ節」、3曲目は「スカラーソング」、4曲目「労務者とはいえ」、5曲目「昭和の銀次」で、まさしく生活の中から生まれた〈本音〉を歌っていて、これぞメッセージ・ソングと言っていい。
〈フォークソングの日 2016プレミアムライブ〉は、やなわらばーという若い世代が中心になったからこそ、世代を超えたコラボレーションのできるイベントになったと思う。その意味では〈フォークソングの日〉はフォークの精神を受け継いだ重要なイベントだ。今回が第1回目だが、2回、3回と回を重ねていくことで新しい〈ムーブメント〉になっていくことを期待したいと思う。
(文/富澤一誠)
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