第45回
45年かけなければ歌えない“すごい歌”天童よしみ!
2017/02/09
それは1月30日(月)、東京・中野サンプラザホールで行なわれた天童よしみの歌手生活45周年記念のスペシャル・コンサート〈天童よしみ歌人生45年の軌跡〉である。
天童よしみ、言わずと知れた日本を代表する演歌歌手である。ミリオンヒット「珍島物語」をはじめとしてヒット曲はたくさんあるので知らない人はいないだろう。
「波乱万丈の“人生ストーリー”が魅力!」
天童よしみのすごいところはその〈人生ストーリー〉がまさに演歌の女王にふさわしく波乱万丈に富んでいることだ。
彼女は1954年9月26日生まれの現在62歳。歌好きの父親の影響から歌好きになり、7歳のときに初めて出たテレビ番組〈素人名人会〉(毎日放送)で「可愛いベイビー」(中尾ミエ)を歌い名人賞を受賞したというから“天才少女歌手”と言っていい。それ以降、数々の〈のど自慢大会〉に出演してほとんど優勝をして名声を高めていった。
そして〈全日本歌謡選手権〉(読売テレビ)で10週勝ち抜き7代目チャンピオンになったことがきっかけで、1972年11月にキャニオンレコードから「風が吹く」でメジャー・デビュー。そのとき審査員をしていたルポライターの竹中労のお墨付きもあってか鳴り物入りのデビューだった。確か〈美空ひばりの再来〉という触れ込みだったと記憶している。
しかしながら、現実は甘くなかった。鳴りもの入りだったにもかかわらず、さっぱり売れなかった。いや、売れなかったどころか、デビューして13年間は下積み生活を余儀なくされてしまったのだ。彼女がデビューした72年は吉田拓郎が「結婚しようよ」「旅の宿」をヒットさせ黄金の〈フォーク・ブーム〉が始まった頃で、新しい音楽の風が吹いて演歌勢にとっては逆風だったのだ。
売れずに貧しい生活をして、それでも負けずに親娘の演歌人生は続いた。演歌歌手らしい〈人生ストーリー〉だが、そんな〈人生ストーリー〉に花が咲いたのは、1985年、テイチクレコードに移籍して出した1曲目の「道頓堀人情」だった。
このあたりの〈波乱万丈〉ストーリーを、コンサートで、天童はひとりしゃべりで上手く語り、そして歌に入っていく。このあたりのしゃべりと歌はワンセットになっていて、まるでミニ・ドキュメンタリー番組を見ているかのような〈ひとり歌芝居〉である。〈人生ストーリー〉についぐっときてしまうものがある。この〈ひとり歌芝居〉が彼女の真骨頂であり、これはもうひとつの〈芸〉と言っても過言ではない。
「〈ひとり歌芝居〉こそ天童よしみならではの芸である!」
コンサートは基本的に彼女の芸でもある〈ひとり歌芝居〉の積み重ねとなっている。まず彼女の〈人生ストーリー〉の脚本があって、それを彼女が役者よろしく語って、聴衆をその気にさせておいて、続いて〈歌〉で圧倒してしまう。
〈第2部〉で歌った「やっぱ好きやねん」は圧巻だった。やしきたかじんが天童を好きだとテレビで言っていたのを聴いて、から始まる〈人生ストーリー〉は私たちを「おっ?」と思わせる何かがあるが、そこから歌にもっていく間のリアリティー。これがすごいので「やっぱ好きやねん」という歌が生きてくるのだ。この歌やっぱりすごい歌だったんだ、と思わせてしまう彼女の歌唱力、これは半端ではない。
休憩をはさんでの3時間公演、珠玉のドキュメンタリー番組を見ているかのように、わくわくしながら楽しむことができた。こういう演歌コンサートだったらもっと見たいものだと思わされた。
「演歌はちょっとにがて……」とおっしゃる貴兄、演歌とて馬鹿にはできませんぞ。ぜひ一度〈天童よしみコンサート〉を見て〈本物の歌〉に触れて下さい。ジャンルなんて関係ありません。いい歌は自分の心で感じたままに判断することが大切なのです。
今回は富澤一誠の〈演歌講座〉でした。
(文/富澤一誠)
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