第49回
鈴木雅之は言う。『オーケストラと同じ舞台に立つということは自分が裸にさせられるという事です』
2017/04/13
「普通のコンサートと違って、歌がとにかく大変ですね。やっぱり40人以上のミュージシャンを背負っているので、歌わされるっていうか、後ろから音圧が押してくる感じで体力を使います。でも気持ちがいいですね」
「“バラードの王様”とオーケストラの“親和性”はぴったりだった!」
大貫妙子の〈シンフォニック・コンサート〉のいいイメージがあったので鈴木雅之のシンフォニック・コンサート〈masayuki suzuki 30th Anniversary Special 2017 鈴木雅之with オーケストラ・ディ・ローマ featuring服部隆之〉(4月12日、東京芸術劇場)へ行ってみた。
〈バラードの王様〉がオーケストラとどんなふうにコラボレーションするのか?興味があったからだ。むろん鈴木の歌唱力を持ってすれば“バラード”とオーケストラは上手くマッチして壮大なラブソングが生まれるはずだ、と予想はできた。しかし、問題は一連のポップなヒット曲をオーケストラとコラボできるのか?ということは想像ができなかった。
案の上、すべり出しは「ガラス越しに消えた夏」で上々のできだった。そして「冬のリヴィエラ」「愛燦燦」「少年時代」「いつか街であったなら」と鈴木ならではの真骨頂だった。まさしく〈シンフォニック・コンサート〉でなければ聴けない格調の高さと味わいの深さだった。
続くエルビス・プレスリーのカバー曲「好きにならずにいられない」も良かった。ボーカリスト・鈴木としての“原点”ともいうべきこの歌をオーケストラと見事にコラボしたところに鈴木のボーカリストとしての“美学”を見たような気がした。
「ありえない“総立ち”現象に私は我が目を疑った!」
後半は服部隆之作曲・指揮によるテレビ・ドラマ〈華麗なる一族〉のテーマソングをオーケストラ・ディ・ローマとの共演。これは実に素晴らしかった。
オーケストラ・ディ・ローマは1990年に設立され、フル・オーケストラとして活動すると同時に、アンサンブルや室内管弦楽団としても公演を行って日本での人気も高い。そんなオーケストラと劇伴の作曲家としては第1人者の服部隆之との見事なコラボレーションはオーケストラでしか聴くことができない至上の幸福だった。
「華麗なる一族」で雰囲気を変えた後、今度はこれが〈シンフォニック・コンサート〉なのか?とびっくりするような展開が始まったのだ。
「東京ブギウギ」の演奏が始まると、それまで客席に静かに座っていたお客さんが〈総立ち〉になったのだ。それは「ランナウェイ」「め組のひと」と一連のヒット曲でさらに盛り上がりを見せた。
去年、ソロ・デビュー30周年、還暦を迎えて鈴木は〈原点回帰〉をしたという。歌をなぜ歌い始めたのか?それを確認するためには“裸”になって自分自身を見つめ直すことから始めなければならない。そのためにはこれまでにまとってしまった虚飾の服をいったん全て脱いでみなければならないのだ。オーケストラで歌うということは、もう一度、裸になって“素”のままで歌うことだ。そこに今回の〈シンフォニック・コンサート〉にチャレンジする意図があったのではないか、と私は思っている。
楽屋で会ったときに鈴木雅之がちらりともらした言葉が印象的だった。
「オーケストラと同じ舞台に立つということは自分が裸にさせられるということです。素のままでどれだけできるのか?まさに原点回帰です」
(文/富澤一誠)
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