第50回
杉田二郎デビュー50周年!『人生の階段』をこれからどれだけ登れるのか?
2017/04/27
4月22日(土)、東京・新宿文化センター大ホールで〈杉田二郎デビュー50周年記念コンサート~人生の階段~」が行なわれ、杉田と同時代を共に過ごした人たちが駆けつけて満員(1800人)の大盛況だった。
杉田二郎は今年の4月5日をもってデビュー50周年目に入った。
10年前の2007年、彼がデビュー40周年を迎えたときに私はインタビューをさせていただいたが、インタビューのラストに彼がしみじみと語ってくれた言葉が私には印象的だった。
「全国各地で待ってくれている“愛する人”たちがいるかぎり、ギター1本持って身軽な感じであの町この町で歌っていきたい、と思っています」
早いものであれからもう10年が経ってしまったが、彼にとってこの10年間はどんな時代だったのか?そして彼はこれからどこへ行こうとしているのだろうか?そんな“思い”が託されたコンサートになったようだ。
〈第1部〉は、杉田の盟友・きたやまおさむのトークから始まった。「戦争を知らない子供たち」「男どうし」「積木」などをはじめとして、杉田ときたやまはこれまでに100曲余りの作品を作ってきた。
コンサートは2部構成で〈第1部〉はトリビュート・ライブということで、杉田と親交の深いアーティストが登場して、杉田の持ち歌をカバーするというスタイルだった。ステージの上手に設けられた椅子に杉田は座ってそれを聴く、というアイデアは新鮮だった。もちろんトークありの、また気が向いたらデュエットもありの、ゆるい感じでそれがまた和やかな雰囲気をかもし出していた。
〈40周年コンサート〉のときと同じように進行役はイルカ、細坪基佳、三浦和人の3人で軽快に進んでいった。
〈第1部〉に登場したアーティストは、因幡晃、三浦和人、庄野真代、細坪基佳、永井龍雲、大野真澄、高山厳、イルカ、鈴木康博、太田裕美、堀内孝雄、ビリー・バンバン、渡辺真知子、伊勢正三、尾崎亜美、山本コウタローなどで、それぞれがそれぞれの選曲で杉田の曲をカバーした。
さすがに杉田をリスペクトしているアーティストたちが歌うことによって、曲に新しい命が吹き込まれたかのように新鮮だった。その意味では、〈第1部〉をトリビュート・ライブにしたことは見事な演出だと言っていい。
それにしてもつくづく思ったことは、初代ジローズ(アマチュア)から始まり、はしだのりひことシューベルツ、ジローズ、そしてソロ・アーティストへという長いキャリアの中で誰もが知っている曲や、純粋に名曲が多いということだ。また、何度聴いても古くならないどころか逆に新鮮に聴こえてくるということは特筆される。
皆さん、持ち味があって良かったが、特に自分の持ち歌にすることで歌に新しい地平を切り開いていたのは、永井龍雲の「朝陽のまえに」、太田裕美の「八ヶ岳」、堀内孝雄の「旅立つ女」、伊勢正三の「涙は明日に」、尾崎亜美の「人力ヒコーキのバラード」などだった。そして、杉田二郎に山本コウタロー、イルカ、細坪基佳、三浦和人が加わった「男どうし」の大合唱で〈第1部〉は幕。
「〈第2部〉は杉田二郎のワンマン・ライブ!」
〈第2部〉は仕事のため欠席のばんばひろふみの〈お祝いコメント映像〉からスタートした〈杉田二郎ワンマン・ライブ〉だが、1曲目は「ジーンズとハーモニカ」。
トークをまじえながら「やわらかな心」「ANAK(息子)」「題名のない愛の唄」「積木」「再会」「今」とじっくりとかみしめながら歌っているためか、歌が生きていた。
そして、突然の森山良子の登場で客席からは熱い拍手が湧き起こった。そんな中で2人でデュエットした「祈り~prayer~」はしみじみと私たちのハートを侵食してきた。これで〈歌の力〉ということを実感した。
森山良子がはけて杉田が歌ったのはニュー・アルバム「やわらかい心」から「ボクらはきっと知っている」。そして本編のラストは〈50周年記念コンサート〉のメインテーマともいうべき「人生の階段」だった。
この歌に託した思いを杉田はこんなふうに語っている。(当日配布のパンフレットより引用)
―――10年前の40周年の時は「前向きに倒れてみたい」、これがひとつのメッセージになってましたよね?今回の「人生の階段」。これはどういうきっかけで生まれてきた歌なんですか?
杉田:「人生の階段」は僕がいつも曲先行で彼(きたやまおさむ)にメロディーを渡して、そしたらそこから彼が「人生の階段」というストーリーを考えたんですね。
―――という事は特に2人で話し合ってっていうわけじゃなくて?
杉田:あの時は話してなかったと思うけども、予備ミーティングではこれからの我々の思うことはなんだろうかっていう中でのミーティングではあったかもわかんないですね。
―――行ってみなきゃわからないですね。あることは事実ですけど。
杉田:あることは事実なんですよ。人生の階段ですから、階段登ると下を見る事ができるよね。自分の歩いて来たことを振り返るってことは事実だから、かなりの確率で振り返ることができる。やり直しはききませんけどね。振り返ることは勝手ですよね。ただしやり直すことは出来ない。
―――どこまで続いてるかもわかんないですよね。続いてないかもわかんないしね。
杉田:そうなんですよ。そんな感情をどうやって残された時間で作品にできるかって。夢かもしれないけれどまだまだ続くんだろうなっていうものの見方っていうのはひとつあるけれど。もうひとつは残された時間わからないけれども決まっているかもしれないから、やっぱりトライして、今こんなことやりたいねって思ったらトライしてやり遂げたいなって気持ちもありますよね。
アンコールは18組の出演者全員にお客さんも加わっての「戦争を知らない子供たち」の大合唱。そして本当のラストは杉田のギターの弾き語りで「あの歌を唄えば」だった。この曲はアルバム「やわらかい心」にラスト曲として収録されている。作曲だけでなく作詞も杉田が手がけているので彼のメッセージがストレートに伝わってくる。
杉田が50年間もの長きにわたって歌い続けてくることができたのは家族の支えがあったからで、当然ながら家族への感謝がベースになりつつも、これからまだまだ続く自分の人生という階段をどう登るのか?そして我が子から孫へと続くためにできることは平和への願いなど、そんな様々な思いがこの歌には込められている。
「『あの歌を唄えば』の“あの歌”とは『戦争を知らない子供たち』のことです。家で僕が歌うと孫たちも一緒に歌ってくれるんです。うれしいことです」
安保関連法案が議論され話題になった頃、ひときわ注目されたCFがあった。
安保関連法案が通った現在の日本だからこそこのメッセージがリアリティーを持ってせまってくる。だからこそ、杉田の「あの歌を唄えば」という使命がさらに重くなるのだ。
(文/富澤一誠)
2018/06/28
2018/06/14
2018/05/24
2018/05/10
2018/04/26