うーじさん 渋谷さんの主催なので、遅かれ早かれ桑田さんがロッキンへ出ることは予想されました。ソロワークなら出やすい環境であろうと思ったので、2002年は攻めの桑田さんでしたので、この頃多くなってきたロックフェスへの参戦が実現しました。 この時点でソロだと50曲までは無かった時期。フェスはある意味アウェー感ありますので、つかみは「希望の轍」を選曲しましたね。2000年の茅ヶ崎ライブや2018年のロッキンでも魅せた技術ですね。この曲がここまで大衆に入り込むとは、ホントに分からないですね。 しかしながら、LIVE初登場の新しいアルバムの曲を続けてやってきましたが、初見の人は知った曲は少ないわけで、良し悪しを確実に判断していました。BLUE MONDAYなどは吸い込まれていた若年層が多く感じました。自分も初見で吸い込まれたわけですが。 月→東京というスゴい流れはファンの間でも賛否のある楽曲ですが、この空間では相当受け入れられていた空気です。私はフェスは前に突っ込まないでそこそこ見えて踊りまくれる空間を選びます。前というのはその演者のファンが陣取るので反応が良いのは当たり前。ある程度後ろだと初見も揃うので、本当の反応を味わえます。つまらなければ桑田さんであってもすぐいなくなりますから。それがフェスの厳しさでもあり凄さでもあります。2002年はまだ20代でも桑田さんをある程度聴く層も今より多かったし、理解度も今よりあるはず。この2曲に引き込まれていましたね。 あとは波乗りの水かけやマンピーやHotel Pacificなどやりたい放題の、大盛り上がり大会。桑田さんのエンターテイメントさを感じましたね。 締めは「祭りのあと」でした。前年の札幌LIVEでラストで初めて演奏したのですが、泣けるんですよ、この曲は。そしてロッキンでも泣き泣きでした。一緒に連れてきた当時22歳の女が、この曲で号泣してたのを見て、やはりこの曲の持っている力を感じました。そもそもセットリストで流れが難しいのでラストにしたみたいな桑田さんの発言を聞いたことがあります。大正解ですよね。最後の方に演奏することが多くなったのは、このロッキンが大きかったのではないでしょうか。 サザンでは2024年フェス最後と言いますが、ソロではまだ出て頂きたいですね。JAPANJAMもありますので、夏に拘らず元気なうちはよろしくお願いしたいですね。 いいね! 1 コメント 1 2024/08/29 (木) 14:17